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ゴーグル97年6月号掲載 ”午後の職人たち”より

メディア露出 朝日新聞, GOGGLEほか
たくさんのメディアに掲載して頂きました

雑誌の記事から全文を掲載しております

 十時頃の東武伊勢崎線下りは、小学生達で賑やかだった。平日とはいえ、今は春休み。日頃のランドセルを小さなアタックザックに替え、皆はしゃいでいた。

「何年生?」
『今度、六年生だよ』
「どこまで行くの?」
『東武動物公園でーす』

 見知らぬオジサンの質問にも、屈託なく答えてくれる少女。ザックの脇には、ピンクのたまごっちをぶら下げていた。座席に座った母親がけげんな顔をする中、オジサンはもう一つ尋ねてみた。

「ところで、学校はやっぱりランドセルをしょって行ってるの?」

 突然、質問の気色が変わって、不思議な顔をする少女。それでも
『うん。でも男子は壊れたからって手提げカバンでくる子が多いんだよ』と、ちょっと困ったような顔で答えてくれた。

 ハテ?そういえば、自分のランドセルはどこへ行ってしまったか、いや、もしかしたら実家の自分の部屋の押し入れの中に残っているかもしれん。草加の二つ先の新田の駅を降りタクシーに乗ってからも、擦り切れてぼろぼろになったランドセルの行く先ばかり気になった。

「すぐに解りましたか。お店ではありませんから皆さんよく迷われるんですよ」

 草加市青柳。藤本康春さんの工房”アレス”は、綾瀬川近くの近郊住宅地の中にあった。軒を寄せ合う一戸建ての庭に、平屋のプレハブが置かれている。十畳ほどの作業場には、大きな仕立てテーブルとミシンが二台。裏地用のロールが五本とたくさんの型紙が”主”の居場所を覆っていた。彼は仕立ての途中のブルゾンをミシンから外し、イスを二つ並べてくれた。

「ここに移ってきたのは9年前。別に仕事場を借りようとかも思いましたが、家に帰れなくなるし、家族がばらばらになるのが嫌で、自宅の庭にしたんです」

 彼はそういうと赤い小さなランドセルを二つとりだした。一つはちょっぴり色あせた年月を感じさせるもの。もう一つは、まだ表革につやつやと光沢があり新しかった。
「二つとも、娘のものです。古いほうは、まだ試行錯誤していた段階のものなのでシンプル。こっちは中の作り込みもかなり凝ったものが出来るようになりました。時間とともに、進化もしているんです」

 これが”想い出ランドセル”だった。 『あなたの想い出を残します』

 藤本さんは、レザーブルゾンやツナギ(レーシングスーツ)の製作職人である。それも、フルオーダーで首尾一貫して手作りにこだわる生枠の仕立師だ。そんな彼が、ランドセルのスケール化?なるものに引き込まれたきっかけは、人柄を偲ばせるご近所付き合いからだった。

「娘さんが『6年間世話になったものだから、どうしても捨てられない』といわれるんです。ただ置いておくにはかさばるし、ほかに使えるものでもない。何とかならないかと頼まれたのが、7年ほど前でした」

 かさばるのなら、小さくする。そして、バッグとしての機能もしっかり備えれば、インテリアにも、ポシェットにもなるかも知れない。彼は現物の素材、ベルト、金具をすべて流用しながら、ミニチュアを作ることを考えたのだ。 「主に使えるものは、表のカバーの部分、もちろん各パーツを丁寧に切り取り、つなげながら、5分の1もしくは6分の1スケールにする。内張りも当然同じものを流用し、ファスナーもそのものを短く切って付けました」

 御近所さんは大感激。その噂が噂を呼び、今度はあちらこちらから頼まれてしまった。さらに新聞社が取材にやって来たことで、想い出ランドセルは全国区に躍り出てしまい、注文が殺到したのである。

 こうして、フルオーダー&フルハンドメイドの彼の本職は、さらに多忙に超が付くようなハードワークになってしまったのである。

「例えば、ランドセルを別の新しい素材から作るのなら簡単です。しかし、使った人の歴史がこれの個性になる。傷や汚れ、落書きの後まで生かしながらの作業は、とても片手間仕事では作れません」

 ランドセル一つ作り上げるのに要する時間は、約8時間。それでも一日に二つは絶対に無理という。さらに、一つ作り上げて1万9千円という、まさに心意気の仕立て賃なのだ。

「これを、本業のない間に続けてきたのも、自分がオーダーメイドにこだわってきたから。ツナギやブルゾンを頼まれるのも、ランドセルも同じという考えからなんです。誰か人でも雇って効率的な流れ作業の量産の味を知っていたら、とても出来なかったでしょう」

 彼は、ちょっぴり自嘲気味に笑ったが、その後の横顔は、どこか満足気だった。
 ふじもとさんは、昭和31年3月7日、東京足立区西新井の生まれ。20代前半はバイク用品の製作会社に勤め、カウルや革ツナギ作りを覚えた。30代の時独立。以後は、オーダーメイド一筋の工房として、ただ一人でウェアを仕立ててきた。

「10年ぐらい前は、ツナギ8にたいしてブルゾンが2。今は割合が逆転しています。ツナギイコールレースをする人。その人たちからの注文だけです」

 そのオーダー方法は、じつに緻密かつ用意周到だ。本人が直接やってくる仮縫いのシステムもあるが、そのほとんどが遠方のお客さんとの、電話によるやり取りである。まず、電話で注文を受け、オーダー表を送る。そこに体のサイズと、希望するデザインを好き勝手に書いてもらう。

「かなり、めちぇくちゃなのがくるんです。それをいかに形にするかは、こっちの領域に任せていただきます。電話の声のみで深まる信頼関係ですね。それと同時にサンプル着を郵送するのです」

 サンプル着とは、キャンバス地で出来たブルゾンやパンツだ。これを先方で着てもらい、もっとも適したサイズを選んだ後、ディテールのツメを電話でするというわけだ。
 革選び、型起こし、裁断、縫製。そして細かい文字の切り出しまで、彼はすべて自分でやらねければ気が済まないという。電話でしか話したことのない相手であっても、その雰囲気を想像しながらの作業だそうだ。

「特別にあつらえる、というのは満足感が違いますよね。それは、作り手にとっても至上の満足でもあるのです。自分だけのものを着たくて頼む。その人だけのものを作ってあげる。つまり、この気持ちのつながりが嬉しくて、ずっとこのスタイルでやって来たんですね。恐らく、これからも同じでしょう」

 最大のネックは、つい気持ちが入りすぎて、凝りに凝って納期が大幅に遅れてしまうこと。満足度は高くとも、採算を度外視した述べ日数に、思わず青くなってしまうこともあるとか。

「私は、非常に時代遅れなえこじなスタイルの人間です。今の機械の技術からすれば、15年は遅れているのではないでしょうか(笑)。でも、私は、製品一つ一つを子供を嫁に出すような気持ちで送り出しているんです。もし壊れたらまた帰ってこい、すぐに直してやるぞ。10年でも20年でも仕立て直してやるぞ。という愛着がありますね」
 もっとも、そんな仕事のパターンにランドセルもからんでいるのだから、彼の多忙ぶりは想像に難くない。ふと、目に留めた伝言板には、

『藤本さんの優しいお人柄が偲ばれ、涙が出ました』
『おじいちゃんの形見のランドセルなので捨てられませんでした。最高の想い出になりました』
『娘の結婚式のプレゼントにしたいと思います』

といった、全国から寄せられたお礼の文が何枚も張り付けられていた。中には『今日ツナギ届きました。とりあえず半分だけ代金送ります。バイト代が入ったら、残りもすぐ送ります。ごめんなさい』といったものもあったが、普通、電話のやりとりだけで、こんなに甘えられるわけがない。これは、藤本さんとお客さんの心が一体になっているからこそ、例え電話だけでしか話していない相手であっても、成り立つコミュニケーションなのだと思う、何かとせち辛い世の中であってもこんなことだってあるのだ。

 これらのつながりが、藤本さんが辛いときの励ましになっていることは間違いないだろう。

 そして、ミシン台の横に『お父さん頑張って』の紙細工、天井からはお父さんの似顔絵がぶら下がっていた。一番下のぼうやが、作ってくれたものだそうだ。彼は四人の子供の父親でもあるのだ。職住同源にこだわり、多忙の中でも想い出ランドセルを手掛けるエネルギーと情熱。その源は、きっと、そんな家族愛が大きく作用しているのではないだろうか。その辺を向けてみると、

「春休みなので、東武動物公園に一回だけ連れていきました」

 そう言うと、照れ臭そうに短髪を掻き上げ、ミシン台に向かったのだであった。

 

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